『苦・欲の数』痛・死についての理解
本来「生」あるものにとって「死」は必然のものです
しかし「死」というものから完全に隔離された私たちは、
近しい人が亡くなった時、自分が重たい病気にかかった時、
急に死と向き合うことになります。
ヨガ発祥の地インドでは、普通に生活しているだけでも、
今なお死を感じさせられることがとても多く、
ヨガができたきっかけは今よりもずっと過酷な環境ゆえに、
死はいつも近くに存在するもので
ストレスに耐えるために生まれたものです。
本来人間は「死」と密接に関係あるもので
意識・学ぶことで
輝いて天命を全うすることができます。
だからこそ『苦・欲の数』痛・死について
学んでいきましょう。
🟪1, 有名な『3欲』はさすがにご存知ですよね?
①食欲:食べたい
②物欲:所有したい
③性欲:交わりたい
🟪2,『四苦八苦(一切皆苦)』
:仏教が説く8つの苦とはもともと仏教用語のひとつです。
そのことばは、ブッダが挙げた8つの人の苦悩のことを表します。
①生苦(しょうく)
家や親、時代を選んで生まれてこられない思い通りにならない
②老苦(ろうく)
誰だって現在進行形の老いの真っ只中老いても尊敬される人になる
③病苦(びょうく)
病気は誰にも発症する。心をどう持つか病気を通して感じる有り難う
④死苦(しく)
人生最大の苦しみにどう向き合う生まれたら死ななきゃいけない約束
⑤愛別離苦(あいべつりく)
別れを通して愛する人から受ける最後の教え
⑥求不得苦(ぐふとくく)
世間が決めた理想の型にあてはめない
⑦怨憎会苦(おんぞうえく)
悪口、嘘、パワハラ。怨憎会苦に防衛力を
⑧五陰盛苦(ごおんじょうく)
色・受・想・行・識という五つの要素が
瞬間に生じては滅している、
その一連の流れが「私」
色=肉体
受ける=五感
想う=考える
行う=自分で行動
識=理解する
→『七転び八起き』しよう
🟪3,『5つの煩悩「クレーシャ」』ヨガスートラは
「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」
①無知(アヴィディヤー):誤解、誤判断
「無知・知識が弱まり散乱し拡大する
他の様々なクレーシャ煩悩の土台となるのが無知である
(ヨガスートラ2章4節)
様々な種類のクレーシャは全て、
私たちの無知から起こります。
色眼鏡をかけた時、最初は違和感があるけれど、
だんだん違和感がなくなって、
かけていることすら忘れてしまう状態。
②自我意識(アスミター):自己中心的・エゴイズム
「アスミターは自分というアイデンティティを間違えているので、
本来の私自分(プルシャ)ではなく、
経験からくる記憶でできた自分(マインド)を、
本当の自分だと勘違いし理解し記憶するので
マインド(クレーシャ)がどんどん増していき、
さらに自分が曲がってしまいすべてが自分中心だと勘違い。
③愛着(ラーガ)執着:好み、欲望、所有欲求
「もっとほしい」「お金持ちになりたい」といった喜びにつながる欲。
物欲、金銭欲は満たされない
「満たされた感情自体」が欲しいと言うことに気づかず
物欲・所有欲・愛着に浸ること。愛も執着を伴うことで苦しみに繋がる。
④嫌悪(ドゥベーシャ)嫌悪:拒否自分以外を拒む、
ヨガでは、意思や意図をもって行動することをとても大事にしています。
過去に経験した苦の知識が働きそれに執着し、
苦痛の原因を取り除こうとするため、
反発や怒りなどを含めた嫌悪が生まれ、そ
れが争いや戦争の原因となります。
⑤死への恐怖(クレーシャーハ):生命・危険に対する恐怖
クレーシャの中でも一番やっかいと言われている。
仙人の領域でも無理。
ですが、とても強い死への恐怖は過去世で得た
死の経験が元になっていると言われています。
生まれた時にすでに死への恐怖が備わっていることは
輪廻転生を証明する根拠。
以上これらの5つの煩悩は━━━━━━
クレーシャを完全に無くす、ではなく減らしましょう。
クレーシャをゼロにするのは難しい・仙人の領域。だからこそ、
できなくてもいいし先人達は修行や苦行を重ねた。
人々が苦しみや不幸を引き起こし、人々が不必要な欲望や願望に執着しがち、
幸福感や平和を見つけることを妨げると見なされています。
これらの煩悩に対処する方法━━━━━━
メディテーション、
瞑想、
プラナヤマ、
アサナ、
慈善行為、
自己犠牲、
同情心などの
ヨガ的な方法が推奨されています。
世界への愛を少しずつ感じ煩悩をリリースしていこう
🟪4,欲『五欲』仏教では、代表的な欲望をと
①食欲
②財欲
③色欲
④名誉欲
⑤睡眠欲
🟪5,欲『マズローの5段階欲求』━━━━
①第1段階:
生理的欲求:本能的な欲、食欲、睡眠など。
②第2段階:
安全欲求:安全を求める欲求。病気や事故、災害を避けたい心。
③第3段階:
社会的欲求:友達や、家族、知人から受け入れられたいという欲求
④第4段階:
承認欲求(尊重欲求):他人から認められたいという欲求
⑤第5段階:
自己実現欲求:自分が求めるものになりたいという心。
🟪6,欲『7欲』七つの大罪キリスト教━━━━━
をご存じでしょうか。これら七つの欲望や感情を表していて、
これを押さえ込むことができないと、
人は罪に導かれうるとされています。
全ての煩悩は「無知」によって起こると考えられています。
①傲慢⇄謙虚
②嫉妬⇄感謝
③憤怒⇄忍耐
④暴食⇄節制
⑤色欲⇄純潔
⑥怠惰⇄勤勉
⑦強欲⇄慈善
🟪7,欲『七欲』ブッダは人間の求める心が七つに分けられると発見したというものだ。
求める心は、発生後、七つの欲求に枝分かれします。
現代心理学の知識を借りると、七つの欲求とは!
①生存欲:生きたい
②睡眠欲:眠りたい
③食欲:食べたい
④性欲:交わりたい
⑤怠惰欲:ラクをしたい
⑥感楽欲:音やビジュアルなどの感覚の快楽を味わいたい
⑦承認欲:認められたい・褒められたい
🟪死は嘆くべき事柄ではない━━━━━━
無知とは「正しくない認識」のことですが、
この場合の無知とはどのようなものでしょうか。
私たちは、プラクリティの作り出した身体が自分だと勘違いしています。
そのため、身体に対して強い執着があり、肉体が滅びることを極度に恐れます。
バガヴァット・ギーターの冒頭で、
あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。
賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ
(バガヴァット・ギーター2章2節)。
私たちは、生まれてきてしまったことで必ず死という運命を授かってしまいますが
それはあくまでも肉体の死で
この全世界をあまねく満たすものを不滅
こころまで滅ぼすことは誰もできない。
(バガヴァット・ギーター2章17節)
私たちの本質は、肉体にはありません。
肉体は、魂、もしくはプルシャ(真我)。
プルシャは新しい肉体に宿ります。
たとえ肉体が滅んでも本当の自分は生きる
ヨガの練習をしているときに、
サバサナのイメージ
自分自身の身体を、少し離れた場所から観察する。
→魂が肉体から離れる体験。
熱い・冷たいなどの対照的な感覚をイメージする。
→感覚器官との癒着を解放する。
自身の体が外に溶け込んでいく感覚を覚える。
→アートマン(個)とブラフマン(宇宙)は一体だと知る。
これらは、本来肉体が死んだとき起こる体験です。
物質としての自身の体を、少し離れたところから観察しても、
練習中に恐怖心を感じる方は少ないと思います。
自身と外の世界の境界線が無くなっても、
それはとても心地よいと感じる人が多いでしょう。
→魂は不滅「肉体は魂の乗り物」執着を手放す
→心1つでマインドを大切に
*心がヘトヘトの時こそ体をヘトヘトにする
→本来の自分プルシャ「自分の真意」に気づく
*悪霊より良い魂が多い誰でも見守られている
見守られていることに感謝し
一瞬一瞬を大切にハッピーに全力で生きる
🟪ザ・エンディング「死」に備えれますか?・・・
実際にエンディングノートを書き上げた人の割合は、
なんとたったの2%。60代でも2%、70歳以上も5%に過ぎません。
認知症もある程度あり「いつか」と答えた人の割合が全体で41%、 70歳以上だと54%、
未だに書き始める人が少ないのがエンディングノート実状です。
なぜ、書き上げることができないのでしょうか?
遺体をコンポスト法令化━━━━━━━━
2023.01.05ニューヨーク州で
人の遺体をコンポストすることが法令化されました 。
土葬は埋める土地が必要で、環境にも悪く、
土壌や下水に影響を与えないためには大量の薬剤が必要です。
また火葬もエネルギーが必要です。
環境保護の面から考えるとコンポストや鳥葬も理にかなってるかもしれないのです。
死の恐れ(アビニヴェーシャ)━━━━━━━━
とは、賢人にさえ存在する、潜在力に支えられた生への執着です
(ヨガスートラ2章9節)。
どれだけ哲学などを学んだ賢者でさえ、
簡単に死への恐怖を捨てることはできません。
それだけ人間にとって生への執着は大きい。
とはいえ「生きる執着」はあって良い。出なければ死ぬし、
ウツになる。ある程度の煩悩や欲が合って良い。
大切なのはバランス。
死を考えるとは「死んだ後にどうするか」だけでなく
「現在これからをどう生きるか」が綴られます。
いわば人生設計ノートのようなものです。
過去を振り返ることで、現在と未来が見えてくる。
現在と未来を感謝して生きることができます。
講演会講師【大滝さやか】広島/全国で3万人指導する美容と健康アドバイザー・講演家・セミナー講師
〈無断転用禁止・控訴します〉